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紙の産業、なぜ神田川沿いに?〜後編〜
神田川(江戸川)沿いを散策してみたら、
出版や印刷の事業所にたくさん出あったことを
前回のブログではご紹介しました。

看板も、こんなに。



それでは、なぜ神田川沿いが「紙」の産業の集積地になったのでしょうか。
産業の発展には、やはり水運が影響しているのかな。
くわしい人に教えてもらいたい……
と考えていると、ちょうどいいところに印刷博物館があるではないですか。



というわけで、学芸員の川井昌太郎さんにうかがいました。

ーー神田川の水運が紙の産業の発展をもたらした
という説があるようですが、どう考えますか?
俗説ではないでしょうか

ーーえっ、俗説ですか?
「神田川で紙をつくっていたのは、
『文京区史』などによると、水引などいろんな用途があったようです。
でも、水引の紙は薄くて印刷に使えません。
紙すきの伝統が、必ずしも印刷産業を発展させたわけではないと思います」

ーーではなぜ神田川沿いに印刷関係の事業所が多いのですか?
「まず、大きな印刷会社の進出の影響が考えられます。
1886(明治19)年、銀座に本社のあった秀英舎(現在の大日本印刷)が
市谷に第一工場を開設すると、周りに中小の印刷業者が増えていきます。
印刷は分業のため、大きな印刷会社に関連して、たくさんの仕事が発生するのです」

飯田町駅の存在もあります。
都心と多摩、山梨方面を結ぶ甲武鉄道の物流拠点として
1895(明治28)年、現在の飯田橋駅と水道橋駅の間に開設されました。
そのため、周囲に出版関係が多いと考えられます」



ーー紙や本は川で運んだとも考えられませんか?
「それは今のところ裏づけられないんです。
街道や鉄道を使ったと考えられます」
「明治期の首都東京では、印刷の中心が日本橋から京橋へと移ります。
そこも手狭になり、
比較的近い低地の飯田橋・水道橋周辺へ進出したのではないでしょうか」

解説ありがとうございました。

印刷博物館で2012年、
印刷都市東京と近代日本」という企画展を開いた際、川井さんは
幕末から明治にかけての印刷拠点の動きを
「日本橋から京橋へ」
と表現しました。

もし、また企画展があれば、次の時代の動きとして
「京橋から小石川へ」
と書き加えたいそうです。



なるほど……。
近くにいても、知らないことっていっぱいありますね。

そして、川井さんのお話から学んだのは
思い込みを排し、資料にもとづいて地道に事実を確かめる
ことのたいせつさ。
自分の仕事にも通じるなあ。
そう考えながら、会社へと戻る坂道をのぼりました。

文責:カナヅチカモメ(広報)
| blog-ouraidou | 雑記帳 | 16:21 | comments(0) | trackbacks(0) |









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